4/19/2024

この日も主と共に【1004】

見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。・・・わたしがわたしの群れを養い、憩わせる、と主なる神は言われる。(エゼキエル書34章11、15節)

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イスラエルの民が政治、社会、宗教のいずれにおいても混迷を深めた時、神様は嘆きを隠されませんでした。そして預言者エゼキエルを通して、当時の責任ある人々に厳しく語られました。《まことに、わたしの群れは略奪にさらされ、わたしの群れは牧者がいないため、あらゆる野の獣の餌食になろうとしているのに、わたしの牧者たちは群れを探しもしない。牧者は群れを養わず、自分自身を養っている。》(8節)そしてついに神様は、自らが羊飼いとして立つと宣言されました。《わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは公平をもって彼らを養う。》(16節)このお言葉の成就として、神の御子イエス・キリストがこの世に来られました。そして、旧約聖書のイスラエルの民や新約聖書の信仰者たちだけでもなく、今の私たちをも神様の群れに入れてくださいます。

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天の父なる神様、あなたの養いと憩いをお与えください。神の群れの一つとして小隊につながる一人ひとりをお守りください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/17/2024

この日も主と共に【1003】

主は羊飼い、
わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく
わたしを正しい道に導かれる。
(詩編23編1~3節)

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神様は私たちの《主》であり、《羊飼い》です。どこか遠いところで、私たちとは無関係に存在しておられるのではありません。《羊飼い》が羊に一日中付き添い、養い、守るように、神様は責任をもって私たちに関わり続けてくださり、力と愛を注ぎ、私たちを生きたものとして存在させてくださいます。神様が私たちを《正しい道に導かれる》のは、私たちが神様の要求される要件を満たしているからではなりません。あるいは、これまでの功績を認められたり、将来有望であると期待されたからでもありません。ただ神様が私たちに対して《主》であろうとご自分を定めてくださったがゆえに、私たちを導いてくださいます。愛する独り子を犠牲にしても、私たちを救い、導かれます。

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天の父なる神様、あなたは今日も私の《羊飼い》です。あなたを信頼し、《正しい道》を指し示す導きによって歩むものとならせてください。《わたしは何も欠けることがない》という喜びの歌に加わらせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/16/2024

この日も主と共に【1002】

キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。・・・つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。(コリントの信徒への手紙一15章20、22節)

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イエス・キリストが死から復活されたことが、なぜ私たちにとって大切なのか。伝道者パウロは、イエス様の復活が《初穂》であり、イエス様を信じる者たちも《キリストによってすべての人が生かされる》からだと語ります。イエス様の復活によって、イエス様を信じる者たちもみな死から復活するものとしていただいたのです。その復活の次第はパウロ自身も言葉にし尽くせない《神秘》ですが、たしかなことは《朽ちないもの・・・死なないもの》を着ることであり、《死は勝利に飲み込まれた》と言えることです(51、54節)。復活されたイエス様によって、私たちはまるごと神様の愛に飲み込まれ、生かされています。

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天の父なる神様、復活されたイエス様によって示された、あなたの愛と救いをもって私たちを覆ってください。私のすべてがあなたの愛のうちにあるという平安と力をお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/12/2024

この日も主と共に【1001】

イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。・・・」(ルカによる福音書24章38、39節)

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復活されたイエス様が弟子たちに姿を現された時、弟子たちは《亡霊》を見ていると思い、恐れました(37節)。

イエス様は、
①十字架の傷がついた手と足を見せて、十字架で息を引き取る以前のご自分と同じであることを示されました(38~40節)。
それと同時に、②弟子たちの食べ物を食べてみせられ、イエス様が霊のように生き返ったのではなく、新しい体をもって復活されたことも示されました(41~43節)。
また、③弟子たちの《心の目を開いて》聖書を教えられ(45節)、ご自分の復活によって、聖書に約束されていた神様の御心が成就したことを教えられました(44~49節)。

復活されたイエス様のお姿は、まったく神様の御心に調和したお姿であり、神様の御言葉と力を体現されたお姿でした。そのような新しい姿を、イエス様を信じる時に私たちも新しくいただくことができます。

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天の父なる神様、あなたの御言葉と力を受け入れて歩むものとならせてください。復活されたイエス様が説き明かされた神の言葉の恵みを私たちにも新しくお与えください。そのために聖書を共に読む小隊・教会の歩みを励ましてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/10/2024

この日も主と共に【1000】

十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。・・・」(マルコによる福音書16章14、15節)

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十一人の弟子たちはイエス様から特別に選ばれた人々でしたが、他の弟子たちが復活されたイエス様にお会いしたと伝えても、なかなか信じようとしませんでした(11、13節)。後悔や恐れや不安に身も心も縛り上げられていました。そのような弟子たちの前に復活されたイエス様が現れ、彼らの《不信仰とかたくなな心をおとがめに》なりました。ただし、弟子たちとの関係を終わりにされたのではありませんでした。むしろ、彼らがふたたび信じる者となるように、そして神に対して開かれた心を持つことができるように、復活されたイエス様は戦われました。そして、十一人を《全世界》へと遣わされました。復活されたイエス様は私たちのために戦い、私たちを新しい歩みへと押し出してくださいます。

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復活された主であるイエス様、あなたの力強い愛を受け入れて歩むものとならせてください。あなたと向かい合うことを妨げるものが私たちの心や生活にあるならば、それらを明らかにし、取り除いてください。アーメン

4/09/2024

この日も主と共に【999】

イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。・・・わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイによる福音書28章18~20節)

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復活されたイエス様はガリラヤの山で弟子たちとお会いになり、天へと引き上げられました(16節、参照ルカ24章52節)。弟子たちの中には、その場においてもなお《疑う者》がいました。イエス様の復活が自分とどのような関わりがあるのか、まだよくわからなかったのです。しかし、イエス様は弟子たちに《近寄って来て》、お話になりました(18節)。そして、①ご自分の権能によって彼らを弟子としてふたたびお立てになり、②世界に福音を伝える使命を託し、③世の終わりまで共にいると約束されました。復活されたイエス様は、後悔、恐れ、無力、絶望で閉ざされそうになっていた弟子たちに、新しい力、目的、役割、将来を、与えてくださいました。

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復活された主イエス様、あなたは弟子たちに《世の終わりまで、いつもあなたがた共にいる》と約束されました。その約束の下に今の小隊・教会も、私たち一人一人もあることを感謝します。あなたが私たちを新しい道のりに押し出してくださることを覚え、あなたに信頼して歩むものとならせてください。アーメン

4/08/2024

この日も主と共に【998】

わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。(ローマの信徒への手紙6章4節)

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イエス様が私たちのために死なれたことにより、私たちは罪の支配から解放されました。また、イエス様が死から復活されたことにより、私たちは神様と共に生きることができるようになりました。それは、《新しい命》と言えるような神様からのすばらしい贈り物です。私たちの地上の生涯は誰もが死に向かっています。私たちの命はそのままでは死につなげられています。しかし、イエス様は私たちを死ぬための存在ではなく、生きるための存在にしてくださいました。《わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。》(8節)

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天の父なる神様、御子イエスの死と復活に結び合わされ、イエス様が共におられるという平安をいただいて歩むものとならせてください。そして、イエス様を死から復活させられた、あなたの大きな御力をもって私の内も外もお守りください。また、あなたの与えてくださった家族、神の家族である小隊・教会の一人一人を顧みてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

4/06/2024

この日も主と共に【997】

しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。(使徒言行録2章24節)

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イエス様の弟子たちに聖霊が降った時、ペトロは力強く人々に語りました。①イエス様が《神から遣わされた方》であること(20節)。②イエス様の十字架の死は、人の目から見れば死刑であったが、神が《お定めになった計画》によって神の救いの成就となったこと(23節)。③神の救いはイエス様の死だけでなく、死からの復活に現れたこと(24節)。そしてペトロは、《イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかった》と言います(24節)。イエス様が死に支配されることのないお方であるとは驚くことです。しかし、さらに驚くべきことは、復活されたイエス様が、私たちをも死に支配されないようにしてくださるということです。私たちを神の愛によって生きるものへと新しくしてくださるということです。

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天の父なる神様、あなたと共に生きることのできる一瞬一瞬が、すでに復活されたイエス様からの贈り物です。今も生きておられるイエス様によってあなたの愛のうちに立ち、力と支えをいただいて歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

4/05/2024

この日も主と共に【996】

我々は主を知ろう。主を知ることを追い求めよう。主は曙の光のように必ず現れ 降り注ぐ雨のように 大地を潤す春雨のように 我々を訪れてくださる。(ホセア書6章3節)

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旧約聖書の預言者ホセアが生きた時代、イスラエルの民の心は神様から遠ざかっていました。社会には不正や不道徳が広がり、周辺国との戦乱に進んでいきました。一部の人々は、《さあ、我々は主のもとに帰ろう。主は我々を引き裂かれたが、いやし 我々を打たれたが、傷を包んでくださる。二日の後、主は我々を生かし 三日目に、立ち上がらせてくださる》と語り、神様に対する悔い改めと再出発を訴えました(1、2節)。しかしその取り組みは実を結びませんでした。それでもなお神様の愛と信実は変わりませんでした。この後、イエス様が復活されたお方、死から立ち上がられたお方として、私たちを訪ねてくださいました。イエス様が私たちを《主を知る》人生に入れてくださいました。

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天の父なる神様、あなたは御子イエスの死と復活を通して、ご自分のかぎりない愛を示されました。イエス様を通してあなたを知り、あなたの救いの中を歩むものとならせてください。復活されたイエス様が訪ねてくださる所として、小隊・教会とここにつながる一人一人の生活を祝福してください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/04/2024

この日も主と共に【995】

マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走った・・・(ヨハネによる福音書20章1~4節)

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墓の中にイエス様の体がないことを発見したマグダラのマリアは、《走って行って》弟子たちに告げました。それを聞いた二人の弟子は《一緒に走っ》て墓に向かいました。この時点では、彼らは何が起こったのかまるで分かりませんでした。しかし、何かが変わり始めました。悲しみや恐れで動けない状態から、走り出しました。そして走り出した先に、イエス様の言葉を思い起こし、復活されたイエス様とお会いし、イエス様と共に新しく生きる道が開けていきました。

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天の父なる神様、私たちはすべてのことを見通して歩むことができません。しかし、復活されたイエス様が私たちの光となってくださり、あなたの愛を、救いを、御心を知ることのできる歩みへと呼んでくださいました。復活の証人となった弟子たちのように、私たちにも新しく走り出す力をお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/03/2024

この日も主と共に【994】

なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。(ルカによる福音書24章5~7節)

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『ルカによる福音書』は、墓の中で、天の使いが《輝く衣を着た二人の人》の姿で婦人たちに現れ、イエス様の復活を告げたと伝えます。墓は死が圧倒的な力をふるい、誰も抵抗できない場所です。しかし、イエス様の復活は墓が示す死の力を無力にしました。墓そのものが壊されたのではなく、イエス様が《お話しになったこと》、すなわち神の御言葉が墓のただ中で語られたことによって、イエス様の復活とその力が明らかになりました。今も私たちは死に捉えられています。信仰があっててもそれは変わりません。しかし、神の御言葉が私たちの心のただ中にある時、私たちの終わりは死ではなく、復活されたイエス様と共にあります。

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主イエスよ、あなたの御言葉を受け入れ、あなたと共に、またあなたの御力と共にある歩みを導いてください。小隊(教会)につながる一人一人がこれからもあなたの御言葉を共に思い起こし、歩むことたできるように力づけてください。アーメン

4/02/2024

この日も主と共に【993】

婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。(マルコによる福音書16章8節)

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イエス様の復活を知らされた時、婦人たちはたいへん恐れ、口を開くことができませんでした。それも無理からぬことだったと思います。人は死によって終わるはずの世界がくつがえされたからです。しかし、婦人たちはやがて口を開きました。(それゆえこの聖書の証言が残っています。)イエス様の復活が神様のかぎりない愛、力、救いがあることを知ったからです。

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天の父なる神様、あなたは愛する独り子イエス様を死に引き渡されたほどに、そして、イエス様を死から復活させられたほどに、私たちを愛し、救うためにはかり知れない力を現わされました。イエス様の復活によって示されたあなたの愛と救いの大きさを心を開いて受け入れるものとならせてください。そして、まことにイースターにふさわしい喜びの声を上げるものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

4/01/2024

この日も主と共に【992】

婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。(マタイによる福音書28章8、9節)
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復活されたイエス様が婦人たちの行く手に立たれ、《おはよう》と語られました。今も、イエス様は復活されたお方として私たちの行く手にも立ってくださいます。私たちのために新しい一日の始まりを告げてくださいます。
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天の父なる神様、あなたは御子イエス様の復活によって、この世が生み出すことのできない希望と喜びを私たちに与えてくださいました。復活されたイエス様と共に生きる喜びを新しく教え、その道のりを導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン